泪橋ラボの設立の動機をお伝えします。
ほっとした泪を流そう
泪橋は、江戸時代、小塚原処刑場の近く思川(おもいがわ)にかかっていた小さな橋です。
処刑場に向かう者にとってはこの世との別れの場でした。最後の悔恨の場。
家族や身内の者にとっては処刑される者との別れの場でした。
お互いがこの橋の上で泪を流したことから、”泪橋”の名がつけられたといいます。
泪橋の”泪”は、悔恨、やりきれなさ、生きづらさから流れた泪。
しかしながら、現在、思川は、埋め立てられ、泪橋は、姿を消し、交差点となりました。
泪橋との名前は、交差点名として残っているに過ぎません。
それでも、いろいろな人が橋を渡るかのように泪橋の交差点を渡っていきます。
山谷のドヤに暮らす人、会社勤めの人、浅草地場産業の職人さんたち、日本人旅行者、外国人旅行者、酒場に向かう人、カフェに向かう人…
江戸時代は処刑場に向かうまち、戦後は、日雇労働者が集まるまち。そんな山谷・泪橋周辺も様々な人が集まる場所になりました。
泪橋や山谷を取り巻く変化のように、”泪”の意味を変えてみよう。
それでも、悔恨、やりきれなさ、生きづらさは、まだまだ、わたしたちの身近なところにあります。泪橋や山谷に限らず、日本国内に限らず、人種や国籍、職業などに限らず。
もっとほっとでき、もっと余白があり、もっと安らかに暮らせる 〜そんな理想を追い求めてみたいと思います。
ほっとした泪を流そう。